水没したニューオーリンズの街が再起不能になるのではとか、
街を別の場所に移転する予定とか聞いて、
なかなかまとめていなかった「思い出」をまとめようかとおもった。
2000年4月3日 ニューヨークからAmtrack(アメリカの鉄道)の列車に乗って31時間かけてニューオーリンズに着く。
ニューオーリンズについて最初に訪れたのは「Jackson Square」
フレンチ・クォーターの真ん中にある「ジャクソン広場」1721年に設立。
当時は郡の閲兵場であったとか。その後、1856年にニューオーリンズの激戦で一躍英雄となったアンドリュー・ジャクソンを記念してこの名前がついたらしい。真ん中で馬に乗っている像は、のちに第7代大統領になった彼の像です。
ジャクソン広場の前にはこんな馬車がいます。アメリカでは観光名所にはこんな馬車をよく見かけます。
ジャクソン広場の隣の建物。この向かいにあの「ベニエ」(ドーナッツのようなお菓子)で有名な「Cafe du Monde」があります。私はここで、ベニエとカフェオレを注文して、プチパリ気分になりました。ニューオーリンズはもともとはフランスの領土。そんなことを思い出させるお茶の時間だった。
フランスをイメージさせる「French Market」。どこの街もマーケットというところはたのしい。ここは200年近い歴史を持つ青果市場。野菜やフルーツ、その日に陸揚げされたオイスターなどが店頭にところ狭しと並べられている。写真にはにんにくがのれんのようにかけてあったことを思い出しますね。
ニューオーリンズに来た目的でもある、ジャズホール「Presavation Hall」。
日本のミュージシャンでもここで撮影したりしてますよね。
私が行った時に演奏してくれたジャズメン。このホールは伝統的Dixieland Jazzの保存を目的に開業していました。見た目は中も外もボロボロの小屋といった風情だけど、19時頃から人の列ができる。内部にはテーブル、イス、エアコンもなし。20分の演奏を20時半から24時まで繰り返し続けられる。しかし、そのチャージはたったの4ドル(当時)。ここに来る人はわきまえてて、1~2回の演奏ごとにお客さんは自主的に入れ替わります。4ドルで本場の音が聞けることも、お客さんのマナーもとても気持ちいいものでした。
お墓です。memorial ground。アメリカのお墓はとても大きい。そしてきれい。日本の火葬とは違うので大きさは必要なんですが、北部のものよりおおきかったです。
そして、写真はないのですが、クルーズに乗りました。
船の汽笛にパイプオルガンをくっつけて、人が演奏しながら出航していたのが、とても印象的でした。
神戸の街も、地震のとき、その街の姿を目の当たりにしたとき、涙がとまらなかった。
でも、今はそのことが嘘のように活気を取り戻している。人は強いなと思いました。
ニューオーリンズの街もいつかあの明るさを取り戻してほしいと、ただただ祈ることしかできない。
街を別の場所に移転する予定とか聞いて、
なかなかまとめていなかった「思い出」をまとめようかとおもった。
2000年4月3日 ニューヨークからAmtrack(アメリカの鉄道)の列車に乗って31時間かけてニューオーリンズに着く。
ニューオーリンズについて最初に訪れたのは「Jackson Square」
フレンチ・クォーターの真ん中にある「ジャクソン広場」1721年に設立。
当時は郡の閲兵場であったとか。その後、1856年にニューオーリンズの激戦で一躍英雄となったアンドリュー・ジャクソンを記念してこの名前がついたらしい。真ん中で馬に乗っている像は、のちに第7代大統領になった彼の像です。
ジャクソン広場の前にはこんな馬車がいます。アメリカでは観光名所にはこんな馬車をよく見かけます。
ジャクソン広場の隣の建物。この向かいにあの「ベニエ」(ドーナッツのようなお菓子)で有名な「Cafe du Monde」があります。私はここで、ベニエとカフェオレを注文して、プチパリ気分になりました。ニューオーリンズはもともとはフランスの領土。そんなことを思い出させるお茶の時間だった。
フランスをイメージさせる「French Market」。どこの街もマーケットというところはたのしい。ここは200年近い歴史を持つ青果市場。野菜やフルーツ、その日に陸揚げされたオイスターなどが店頭にところ狭しと並べられている。写真にはにんにくがのれんのようにかけてあったことを思い出しますね。
ニューオーリンズに来た目的でもある、ジャズホール「Presavation Hall」。
日本のミュージシャンでもここで撮影したりしてますよね。
私が行った時に演奏してくれたジャズメン。このホールは伝統的Dixieland Jazzの保存を目的に開業していました。見た目は中も外もボロボロの小屋といった風情だけど、19時頃から人の列ができる。内部にはテーブル、イス、エアコンもなし。20分の演奏を20時半から24時まで繰り返し続けられる。しかし、そのチャージはたったの4ドル(当時)。ここに来る人はわきまえてて、1~2回の演奏ごとにお客さんは自主的に入れ替わります。4ドルで本場の音が聞けることも、お客さんのマナーもとても気持ちいいものでした。
お墓です。memorial ground。アメリカのお墓はとても大きい。そしてきれい。日本の火葬とは違うので大きさは必要なんですが、北部のものよりおおきかったです。
そして、写真はないのですが、クルーズに乗りました。
船の汽笛にパイプオルガンをくっつけて、人が演奏しながら出航していたのが、とても印象的でした。
神戸の街も、地震のとき、その街の姿を目の当たりにしたとき、涙がとまらなかった。
でも、今はそのことが嘘のように活気を取り戻している。人は強いなと思いました。
ニューオーリンズの街もいつかあの明るさを取り戻してほしいと、ただただ祈ることしかできない。
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by suzu-perry
| 2005-09-09 00:40
| ひとりごと
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